昭和48年03月15日 夜 佐田家霊祭



   (途中から)
 頂いて、そしてそれを人にも伝えていき、真の信心をさせるのが神への御礼とこう仰るが、これは、人だけの事じゃない事を今日あらためて気付かせて頂いたんですけれども、この真の信心をさせるのが神への御礼という、御霊の場合でも同じ事だと思うですね。私はあの、御神前で非常にあの、長い御祈念でしたが、神様がそのしるしを見せると仰るのが、いつも見せて下さらんし、ところがもう小さいお線香の火のような火が、今日の御霊だいたいは三柱ですけどね。
 私が頂くのは四柱の御霊様がね、あの線香の光のような光が、もう遠い所からずーっとこう私の前まで近づいてくる、そしてようやくロウソクの光のような所で、しかもこの段々にこう、あのまあいうなら座られる座が違うと言った様な感じでね、頂いてそれを感じたんですけれども、本当にあの真の信心をさせるのが神への御礼であるように、真の信心によって、御霊様が助かられるという事の御用は、やはり私どもが神への御礼と仰るから、神様への御礼という事は私どもが力を受けると言う事だと思うですね。
 やっぱりあの、本当に真心込めて、やっぱしなきゃならんと思いますよ。そしたらね、あの、あんなもの見た事がないけれど、あのちまき笹というのがあるでしょ。笹のこんな大きなあれのね、真っ黒です真っ黒いちまき笹の、に、あのじゃないですけれどもね、そのちまき、笹の上にガマの穂、あれはガモというかね、こんな色したあれは、七夕さんの時なんかによう使います花に。あの穂を一つこう乗せて、こう下さるところを頂いたんですけれどもね。
 そのどう言う事だろうかと思わせて頂きよったら、私が最近言わせて頂いておる、お釈迦様だってキリスト様だって、教祖生神金光大神の脇役を務められる方だという意味の事を頂いとりましたがね、笹の笹と言う事は竹かんむりに世と書いてある。世の中の世という事。と言う事から気付かせてははぁこれは、例えば教祖生神金光大神の世になるとですね、もう実に素直に素直に、あの素直な世と言う事になってくるね。あの和賀心一つで一切が幸せになっていけれる、助かっていけれると言った様な道ですね。
 お釈迦様の道だってキリスト様の道だってもう助かるためには大変な、何か、とにかくキリスト教なんかで助かるというのは、もういばらの道と言う様な、いばらという感じですよね。その違いを見せて下さったんだ思うんです。ガマの穂というのはね、あれはこれからは、あれは大黒様の、因幡の白兎の恋路がありますよね、あの、お兄様達の言う事を聞いて苦しんでおるウサギが、例えばなら、まあ先輩ではありますよね、キリスト様でもお釈迦様でも、まあここの場合はお釈迦様でしょうけれども。
 仏教によって助かるための修行をなさったけれども、やはり苦しいところに、だったと言う事。それから何か、ガマの穂を敷いて柔らかい上に休ませてもろうて、真清水で体を洗うて楽になっていかれるという感じ。次にね、これからは深呼吸ができると仰った。こう深呼吸するでしょ。あれはあの、普通は深い呼吸と書いてあるけれども、真の呼吸という、それを最近、最近じゃない、私が言う天地の一つのリズムというものに、伴うた天地と一つの呼吸ができる。
 あの今日のお祭りはそういう何か働きをする、そういう働きを感じるお祭りでしたですね。ですから、ある意味で大変やっぱり難しいお祭りだったですね。けれどもあの、自分たちがおかげを頂いておる、助かっておるその事実をね、やっぱり御霊様の上にはかけなければおられないというのが今日の事であり、いわゆる真の信心をさせるのが、いや真の道にこうやって導くのが神様への御礼であり、それを導く者が力にならないはずはないという感じでしたですね。
   どうぞ。